そんな平成が間もなく終わります。そんな中で、思い出にふけりながら、私の成長に関して大きな要素のインターネットとの関わりを振り返りつつ、そんなインターネットを通じた人との関わりなどを考えてみます。
〇私と平成とインターネット
平成という時代と自分との関わりを考える上で外せない物はインターネットとの関係性でしょう。
私の実家は自営業で、昔から父はパソコンを使って仕事をしていました。ですので、パソコンとの関わりが深い環境で私は育ってきたことになります。そしてインターネットが自宅に開通したのは中学1~2年の頃で、これからは必須になると積極的に使わせてもらったのを記憶しています。
家業はネットを使って商売をする訳ではなかったので、なぜ早い段階でインターネットを開通させたのかは分かりませんが、そうやって私にインターネットとの関わりを持たせたことは非常に大きなターニングポイントだったと感じています。
そうやって私がインターネットとの関わりを持つようになり、最初にハマったのが、Flashムービーを見たり、ホームページ作成サービスを使って遊ぶことでした。ホームページと言っても何か主題があったわけではなく、同年代の人々は自室を飾るように中身の無いホームページ擬きを作って楽しんだものでした。
もう一つはチャットやメッセンジャーソフトによる他愛もない会話でしょう。これに加えて、ファンサイトでの掲示板でのやり取りなどでも遊びました。
今にして思えば、Twitterで色々な人とやり取りしている現在とあまり変わらない遊びを当時からしていたことになりますね。
〇人との関わり方の種類が増えた
このファンサイトは当時ファンだったMr.Childrenのファンサイトで、私が中学生頃にそのサイトに出入りしている人は、当時大学生から社会人ぐらいで、全体的にネットリテラシーが高い環境にお邪魔させてもらう(そしてネットリテラシーを学ぶ)、という雰囲気がありました。私はその中で、落ち着いた雰囲気で年上の人と気兼ねなくやり取りできていたことが楽しかったと記憶しています。そこに備えられたチャットで、本当に長い時間遊ばせてもらいましたし、そこからメッセンジャーソフトに派生して関わり方が増えた友人も複数いました。
このように、学校での知り合い以外に、遠い場所に住んでいる人とインターネットの中だけで関わるということが『ありえる』という環境に身を置くようになりました。
また、Flashムービーの製作者のように、その界隈では有名な『インターネット上の有名人』というのが生まれ始めたのもこの頃ではないか?と個人的には感じています。
〇利用する人口が増えたことによる弊害
そして数年経ち、自分が高校生になるころには、中学生ぐらいの人々が自分の出入りしていたサイトに流入してきて多数派となり、雰囲気がガラッと変わってしまって足が遠のいてゆきました。身勝手なことを言ってしまえば、社会的なマナーを良く知らず、ネット上のマナーも学んでいない人が増えたことに嫌気がさしたわけで、今後、ネットリテラシーの低い層がネット内で多くなるということに危機感を覚えたのを記憶しています。
大学生頃になれば、mixiなどが大きくなり、私も使う様になりました。mixiおよび、その時代の大きなポイントは、ネット上の付き合いという隔離された関係性ではなく、大学での知り合いとネット上でも繋がるという実社会とネットとの障壁が消えつつあった、ということでしょう。
これにより、私のように、ネットだけの繋がりを持っていた状況から実社会での繋がりに拡充された状況にある人々と、実社会の繋がりがネットでの繋がりに拡充された人々が交錯するようになります。
こうなると、ただでさえ面倒な付き合いが、元々は自分の好きな関係性だけを選んでいけばよかったインターネット上の付き合いと混ざり合って、上手く立ち回る必要が出てきました。人によっては結構面倒な問題が生まれたと言いきっても良いでしょう。
こうなると、インターネットリテラシーを意識していなかった層が、それを強く意識する層に安易にアクセスするような状況も生まれ、人によってはかなり面倒な時代に突入した、と考えて良さそうです。
〇インターネット上の繋がりの深化
私が中学時代の頃から、インターネットでの繋がりをベースに、オフ会のように実際に会って親交を深めるということが多くなってきました。私も、大学生の頃にバイク関連のオーナーズグループの人とお会いしたことがあります。
そこまででなくても、インターネットで繋がった人と友好関係を深めるということは当たり前になってきました。中学当時にネット上で知り合った人々とはすでに関係が切れてしまっていますが、今でもあの人々は元気だろうかと考えることはたまにあります。
現在は、Twitter上でやり取りさせてもらって、なんだったら仲の良い実生活での友人よりも多く連絡(というかツイート)をやり取りしているのも普通と言えば普通の状況になっています。
個人的にはこれは非常に良いことだと思っています。
インターネット上に出ている物がすべてではありませんが、なんとなく波長の合いそうな人とやり取りを深めてゆくと、やっぱり波長が合うことが多く、そういう人との関わりはやはり楽しく、意味のあるものだと考えるからです。
〇令和の時代に向かって
平成の時代は、このような人との繋がりのツールやシステムが急速に発展していった時代だったと感じています。令和はそれらの仕組みがある程度出来上がった状態からスタートします。既に、おそらく小学生~中学生ぐらいからインターネットとの関わりを持つのが当たり前になっていますから、インターネットネイティブな人々がネット上の主流になってくるわけです。
先に、インターネットリテラシーの低下を感じたことを書きましたが、これは若い世代が悪い訳ではなくて、それらを使う前に学ぶべきことを、大人たちが用意できなかったことが問題だったと感じています。現在、それに取り組もうとする動きがあるわけですが、どうにも的外れ感があるのも事実で、このような状況の中でトラブルにならないためには、『自分たちにはマナーが無い』と思いつつ、慎重に生活してゆくほか、現在は手段が無いように感じます。
昨今、ネット上の軽率な行動が大きな問題になっていることは周知の事実ですので、どうか、そのようなことになることだけは避けてほしいですし、自分も注意せねばと感じる次第です。
さて、そんなインターネットですが、インターネット上、特にSNSサービスにて自分の気持ちを解き放つだけに使うことはダメだとは思いませんが、せっかくこのような素晴らしい環境が整ってきたわけなので、それらを通じて得るもののある人間関係が気付けてゆける時代になればよいなぁと私のようなおじさんは感じるわけであります。
先に、インターネットが起点となった有名人の登場という話を書きました。現在では、インターネットを起点とした作曲家や芸術家、Youtuberのような芸能人と言えば良いのかな?そういう有名人、あるいはVtuberのようなキャラクターまで実社会で活躍する時代となりました。
インプットに使うだけのインターネットから、なにか信念や努力によって大きなアウトプットをする側になれる時代になっている訳です。
インプットも、見たい物だけ絞り込むというわけではなく(見なくて良い物も多くありますが…)広く受容するような心構えと、消費するだけではなく何か生み出すようなスタンスを持って、この時代を楽しんでいければよいなと、自分については思いますし、中学や高校生、大学生や新社会人になる人々にはそのようになってくれると良いな、と思う訳です。
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