個人的には、自分の楽しみが減るから回収や自粛してほしくないと思っていますが、考えれば考える程、自粛や回収せざるを得ない事情があるのかな…と考えるに至りました。そんな、回収に至ってしまう現状を語りつつ、回収を避けるために越えなければならないハードルを考えました。
〇逮捕による作品の回収と契約の解除
2019年4月現在で、芸能人の違法薬物使用関連する話題としては、ピエール瀧(容疑者とか被告とかは変わるので、呼び捨てで失礼)の薬物使用の件でしょうか。逮捕後、電気グルーヴのCDなどが回収されて、回収は当然という話や、作品に罪は無いという反対意見が飛び交いました。
今回は、この個別の事件に関することではなくて、もう少し、一般論的な話を。
作品の販売停止および回収の理由のひとつは、逮捕された作者等の創作物で出版社などが収益を上げた場合、そのお金をどう対処するか判断しかねるから、というのがあるのではないか?と考えます。特に、その作者と逮捕を理由に契約を解除した場合、契約もしていない人の作品で収益を上げるのは法的に見てマズいことというのは察しがつきます。
また、逮捕に伴う契約の解除ですが、一般的な会社員において、禁止薬物に手を出した場合に雇用契約が解除されるという相場観は普通というか納得できるものなので、契約の解除も仕方がないのかな、というのが私の感想です。特に、契約時の文書で『法律違反のような事案があったら、内容によっては契約を解除します』という文言があった場合、作者(もしくは雇われる会社員)が罪を犯した際に会社側が契約を解除"しなかったら"、今後の社内統制的にも問題が残ることでしょう。
仮に、逮捕による作品の出荷停止などを理由とした違約金などを所属事務所が負担(契約も維持)した場合、事務所の経営上のダメージとなって、仮に株価が下落したりなんかした場合には、株主に対する説明責任を問われます。(今後取り返せるからという強い論拠が必要になるでしょう) そう考えると、そこまで庇ってくれる会社や事務所なんてありえるのか?と思ってしまいます。
『契約解除はおかしい』という人々は、少なくともこの点を乗り越えた説得をする可能性がありそうです。
〇違法薬物使用事件は被害者が無いから問題性は低いのか?
さて、以前は私は『殺人や強姦のような被害者のいる犯罪は、自粛なども被害者の心理を考えて妥当かな?と思うが、被害者のいない薬物などの犯罪は自粛が必要ないのでは?』と思ったりしていました。
しかし、特に違法薬物使用の場合、反社会的勢力と繋がっている可能性が極めて高く、現在の日本の規制レベルを考えると、違法薬物使用事件でも自粛や規制が行われても仕方ないと考えが変わりました。
ご存知の通り、昨今では反社会的勢力に属していれば、まともな契約ができない(携帯電話が契約できない・銀行口座を持てない等々)という状況です。反社会的勢力に属していると知りながら、お店や銀行が契約を結んでしまうと、それはそれで別の責任を問われる事態となります。また、反社会的勢力に利益を出させる(今回は薬物を買う)ということなどはもってのほかで、その反社会的勢力に流れるお金の元をたどれば、出版社などのお金になることを考えれば、規制や自粛も仕方ない、と考えたわけです。
特に、コンプライアンス上の『宣言文』的なものが各企業にあると思いますが、その中で反社会的勢力との関係を一切持たないことを書いていれば、ここは切り捨てざるを得ないのかな…と感じます。
〇薬物を使用していた期間の作品に罪はあるのか?
仮に、ここまで書いた収益(権利)に関する問題や、契約上の問題をクリアして、ある程度の条件をクリアすれば作品が存続するとした場合に、薬物の使用を始めていなかった期間の作品と、使用し始めた以降期間の作品という観点で分けることができます。
なんとなく、使用以前の物はセーフっぽいですが、使用以後はどう考えましょうか?
仮に、作品を存続させることができるようになった場合でも、使用期間中の作品は規制の対象になってしまうのは仕方がないのでは?と思ってしまいます。
某芸能人が『薬物使用というドーピングのようなチートによる作品だから規制は仕方がない』と言って批判されたそうですが、個人的にこれは同感(というか同様に考えていた)です。しかし、ちょっとそれだけでは論拠が弱いように思います。
仮に、Aというミュージシャンの薬物使用以前の作品よりも、使用以後の作品が、何とも言えぬ素晴らしさを持っていた場合に、Aが薬物使用で逮捕されたが作品が残り、後のミュージシャンがAの薬物使用以後の作品に魅力を感じて『逮捕されても良作が残るならOK』と判断されると困る、と私は思ってしまいます。
そんなのデタラメな論法だと言われると思います。私もそれは感じます。が、アスリートがドーピングしていたら少なくともドーピングしていた際に出た記録は取り消されるように、薬物をやってしまったら何も残らない、という環境を作って抑止する他ないのかな…と考える次第です。
ドーピング禁止が、スポーツの公平性とアスリートの健康を守るという大義名分があるならば、アーティストの健康を守るという大義名分のもと作品が規制されるというのは、論拠として強いのではないか?と考えてしまう訳です。
〇本人の復帰と作品の復活についてのガイドラインも必要
さて、逮捕直後に回収や規制があっても仕方がない、と仮にしましょう。
では、復活させる道筋を作るということも重要ではないでしょうか?
一応、日本のルール上は、裁判などで下された刑罰を受ければ罪を償ったことになります。(被害者の心理などはちょっと置いておく)
とすると、どのタイミングで自粛や規制が解かれるのか、というガイドラインや指標はあった方が良いでしょう。この点も、(私が知らないだけかもしれませんが)比較的曖昧だと感じます。
確かに、案件はそれぞれ複雑で、どれだけ悪質性が高いかなどは分かりにくいです。過去の案件を少し調べてみましたが、再出荷されているものもそこそこある感じで、どこからがアウトで、どこからがセーフなのか分かりにくいです。おそらく、世間が落ち着いたら、なんらかのそれらしい理由を付けて再出荷するといった程度なのでは?と感じます。
先に書いた通り、現在の状況を考えれば規制・自粛を撤回させるのは(個人的な感想としては)難しそうだと思います。であれば、速やかに再出荷できるようなガイドラインを作る方が、結果的に作品を生存させる方向に進むのではないか?とも考えます。
また、再出荷の道筋が立てば、罪を犯したアーティストの自立や復帰の手助けにもなります。作品を買ってアーティストを支援するという運動も可能になります。
〇最後に
私は今回このことを書いたのは、厳罰化しろとか、作品回収して自粛しろ、と言いたいわけではありません。というか、回収は無い方が私も様々な作品に出合うことができるので嬉しいと思っています。
言いたいことは、毎回毎回捕まるたびに感情論的に言い争って、結局結論を出さないのは辞めませんか?ということです。もう少し深く考えて話し合って、ガイドラインを作るべきではないか?と私は考えます。しかしおそらく、今の対応をベースにガイドラインを作った場合は、現在の『自粛の方向性』になるものと思われます。
もし、作品を残したいと考えるファンであれば、その自粛の論理を突き崩すような論拠を作ったり、権利に関する知見を活用したウルトラCを決めたりすべきだ、と私は考えます。そうしなければ、とりあえず規制という方向性から転換できない。少なくとも、署名を集めて個別の案件だけで、根本的な解決にはいたらないでしょう。私が、ざっと考えただけでも、規制や自粛に至る論拠が多く、現在のままでは、とりあえず回収という方向性を止めるのは難しいように思います。
もしくは、トータルで見れば、逮捕直後の規制や自粛は致し方なしと認めて、できるだけ早い再出荷が可能なような[業界ガイドライン]の制定を進める方が、結果的に文化的な損失が小さくなるとも考えることができます。このあたりの損得勘定をきっちりとやって、守れるところを広げてやることこそ、今、必要なのではないか?と私は考えます。
薬物使用により逮捕されて作品を回収するなら、過去の薬物違反をした偉大なアーティストの作品は回収しないのはおかしい(から作品の回収はすべきではない)という指摘をして、そうだそうだ!と賛同して喜んでいる皆さんへ。
もし、もっと薬物使用に対する対応がさらに厳しくなった時に、それらすべてが規制対象となったらどうしますか? そういう、既成事実になっちゃって面倒だから放置されている案件にすがっているのは、問題を先送りしているだけに過ぎないのです。本当に、過去作品も含めたすべてが規制対象になってしまう前に、ルール作りや作品を守るための防御網を作ることが重要ではないか?と感じます。